墓参り
数年前に墓参りにいったときに、
ほとんどのスピリチュアルな出来事は思い込みが、強い人がなりやすい錯覚と思っているから基本信じない。
墓参りに行った時のこと、
母親の墓に水をかけたり、軽く掃除をしたりと一通り終わった後、ふと向こうに目をやると、その一角だけ古いお墓が固まって建っているのが遠くに見えた。
父親に聞くと〇〇さんとい古くからある地主さんのお墓で、でっかいお墓が建っていると教えてくれた。
古い寺や日本家屋、築五十年以上のボロアパートなど風情がある建物が好きな自分は、その一角に興味をかられて間近に見てみたいと、そのお墓に近づいて行った。
しかし、縁もゆかりもない身分なので、その一角に入る時に軽く頭を下げるように一礼してお墓を拝見させてもらった。
ぱっと見でわかるほどの古い墓標に天保何年とずいぶん昔の年号が書いてあった。
戒名を見ると、古いものほど名前が短く、〇〇信士となっていて、四文字だけの戒名があった。
年号が天保、明治、大正、昭和と最近のものになるにつれて戒名の文字数も増えていき、直近のものは15文字以上あり、院の文字も入っている大層立派な戒名だった。
(院という文字は、大名や上級武士に用いられる号位のうちの一文字)
「あれ?昔は随分とシンプルな戒名ついてるけど、やっぱり金儲け主義の坊主が増えたのか、お金次第では随分地位の高い戒名をもらえるようになったのかな?」などと、勝手に解釈していた。
などと思いながら、その一角の四つほど家名が異なる大きなお墓を、一つ一つお墓の通り道から遠目に眺めさせてもらった。
すると、地元に貢献したとか、遠い地にも献金したり随分と功績を残したことを記した墓標があったりと、大きなお墓のある家計には、こういう方もいるのだなと考えに耽っていた。
五分もいなかったがそろそろ出ようと10メートルほど歩いて、その一角を出た時に、さっきより両足が痛くなく随分と歩きやすい事に気がついた。
というのも、しばらく前から足が痛くて左足を引きずって歩いていて、この日も自宅を出た時から足が痛かったからだ。
自宅を出る時に、墓参りはこの足ではきついけど、親孝行も兼ねて行くし、地元の駅に着けば父親が墓まで運転してくれるから、とりあえず行けなんとかなると思っていた。
足を痛めたのは普段は歩いて目と鼻の先にある職場に通勤しているので、歩く事はほとんどない。
そのため千歩も歩かない日もあるほど、歩く機会がない自分がコロナの影響でボルダリングや運動ができない代わりに二週続けて散歩をしたからだ。
1回目に2時間歩いたら左足の甲が痛くなり足を引きずるようになった。
数日後にまだ足が痛いまま、1時間半あるいたら、時間が経っても足の痛みが引かなくなり、文字通りその足で墓参りに向かったというわけだ。
それが、その一角を出た時には痛みが半分以上減っていたので驚いたのだ。
気のせいかと思って先ほどまでの両足の状態を思い出してみると、歩くと時に蟹股にならないと痛みと違和感で歩けなかった。
そして右足の膝の内側に突っ張る感じというか強張る感覚もあった。
左足の甲も、右半分内側は親指の付け根から足首の根元まで、歩くたびにハッキリと痛みがあった。
それが右足の内側の間隔は違和感程度に変わっていて、左足の甲も痛み残っていたが半分ほどで、なんか動いていない固い感じの方が強いように変わっていた。
自分は痛みに鈍い方なので、痛みはしっかり覚えておこうといつもどこか痛くなると記憶するようにしているので、勘違いはないはず、しかも立ち入ったのは5分もないと思う。
なんでこんなに急に症状が軽くなったのかは分からない。
母親の墓参りをしたから治ったのであって、タイムラグがあって知らない人の墓に行った時に痛みが治まったという可能性もある。
なにはともあれ足が痛くなくなったのは本当のことだ。
後日、なぜか母親の墓参りに行かねばならない気持ちになり、また墓参りに行った。
その時に前回の足の痛みが減ったことが気になり、その地主さんの墓場に行った。
ちなみに墓場は陰の気で満ちていて、気功の陽の気なので、気功の練習にはもってこいの場所というのを知っていたから、立って瞑想と気功をしたら、足裏から気が昇ってくる感覚が、いつもよりハッキリと感じられた。
この感覚を体と頭で覚えることがとても大切な事なので、またここの墓場で感謝するっ出来事が増えた。
その次に行った時には特に不思議な感覚はく、行かねばならないという呼ばれる感覚も出てこないので、もうあの墓場に行く必要はないと感じ、それ以来行ってはいない。